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2011年10月

後白河と義仲の対立

頼朝・義仲のバランスの上に乗ろうとする朝廷のやり方は、双方の不満を招いた。頼朝勢力はまだ京から遠いだけにせいぜい朝廷に抗議を申し入れる程度のことだ。  現に都を制圧しているのは義仲勢力であるから、朝廷に義仲を否認せよと要求しても無理なことぐらい承知の上であろう。 朝廷が頼朝勢力との友好関係を維持しようとする姿勢をとり続ければ、大きな前進である。

帰京した義仲は、その不満を直接に後白河にぶつけようとする。こうした状況に後白河は挙兵したのである、実際は挑発したのだ。(義仲・追討命令)(法住寺殿合戦)合戦は一方的に義仲勢の優勢の内に進んだ、このころ頼朝の代官としては伊勢に進駐していた源義経は急遽、大軍を編成している、頼朝の京攻めが愈々開始される。  この京攻めは、天皇救出作戦であり、天皇を守護する為の戦いである、という大義名分の下の作戦になった。  頼朝勢力は挙兵以来、つねに後白河を最高の権威と認めてきた。頼朝勢力の行動の一貫性はこの点にあるとみなしてよいだろう。
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