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2012年01月

「国宝・鎌倉大仏造立の謎」

鎌倉大仏については以前「露座の大仏」でリポートしましたが、大仏造立にあたり、僧・浄光が勧進をして造営を始めたが、鎌倉幕府がどの様に関わったのか、謎の多い大仏について少し調べた。
露座の大仏(鎌倉・長谷)
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僧浄光は幕府に、勧進の下知を依頼している、その他の支援として、例えば、囚人を逃亡させてしまった御家人への過怠料や、鎌倉中の僧徒の従者の刀剣を取り上げることで、大仏や大仏殿の造営に寄進させている。

更に寛元元年(1243)大仏殿が完成した際にも、幕府の護持僧・良信が大仏供養の導師を勤めている。(最初の大仏は木像であった)

金銅8丈の釈迦如来の鋳造が始まるのは建長4年(1252)。これが現在の大仏と見られる。建長7年に、幕府(執権北条時頼)からの人身売買の科料が地頭から大仏に寄進されていることも、幕府の関与を示している。


銅造大仏の完成時期につてははっきした史料がない、不思議なことにこれ程の建造物が完成した記録が「吾妻鑑」に無いのである、理由も明確でない。  僧・浄光の「授手印決答受決鈔」(1260年頃)の記録に大仏造立が未完成との記録があり、文永5年(1268)日蓮の「大仏殿別当への御状」が出されており、この間に完成したのではないだろうか。?

北条泰時は、公家政権を凌駕する武家政権として北条氏による執権政治を確立させた。木像大仏はこの泰時によって造営が始められたが、銅造大仏の鋳造は執権政治を完成させた北条時頼によって始められている。そして幕府を支える北条氏一門がそれぞれ協力している。大仏は「武家政権完成の記念碑」になったと思われる。

不明な点のついでにもう一つ。現在の大仏は阿弥陀仏であるが、創建当初は丈八の釈迦如来が鋳造されたと記録にあるが、何時変わってしまったかは不明である。(何か判りましたら教えてください)

平成二十四年壬辰・壬寅・辛卯
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