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2013年02月

歴史の中の女性

3・白拍子・静御前(Ⅱ)

頼朝は激怒した。

「天下の大罪人を慕うとはなんたることか」

怒る頼朝を諌めたのは政子だった。 いかにも女らしい政子の話も有名である。

「君流人として豆州に坐したまうの比、吾においても芳契ありといへども、北条殿、時宣を怖れて、ひそかに引き籠めらる。しかれどもなほ君に和順して、闇夜に迷ひ、深雨を凌ぎ、君が所に到る。また石橋の戦場に出でたまふ時、ひとり伊豆山に残り留まりて、君の存亡を知らず、日夜魂を消す。その愁を論ずれば、今の静が心のごとし。多年の好をを忘れて恋ひ慕わずんば、貞女の姿にあらず」

*詳しい事は訳せませんが、静の心情を政子が理解し同情を表したと云うことでしょう。

さすがの頼朝も怒りをとき、卯の花重の衣を与えて報いたそうだ。  それから、静は再び舞を披露したと云う。  頼朝の所望は頑なに拒み続けた彼女だったが、この時は喜んで舞ったようだ。 舞を頼んだのは、大姫(頼朝・娘)だったからである。
祀りの準備をする鶴岡八幡宮の巫女
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病弱な大姫は、許嫁の中であった木曽義高を父・頼朝に殺された事もあって、鬱となっていたようだ。  義高は言うまでも無く、木曽義仲の子。人質として鎌倉に送られたが、大姫との婚儀が決まっていた。義仲を討って源氏の嫡流の地位を不動のものとした頼朝は、父の敵として義高に狙われる事を恐れ将来の危惧を断ちきったのであろう。 義高十二歳、大姫六歳の時と言われる。

病気治癒を祈願して大姫は勝長寿院に参籠していたが、八幡宮での静の舞の噂を聞いて、静の舞を見たくなった。と言うよりも、静に逢いたくなったと云うことかもしれない。  静が舞ったのは、大姫が満願を迎える前日であったと言われている。

この二人の女性は、愛する男性を奪われ、源氏の血筋に関わりがある為に、権力者の都合で人生を翻弄されてしまった悲劇の女たちであった。・・・静はその年に義経の子(男児)を出産、たちまちその子を取り上げられ殺されてしまった。これも後難を恐れての冷酷な処置であった。

悲しみを背負った静は、母と共に都に戻っていった。政子と大姫は静を憐れんで多くの重宝を与えたと云う。京に戻った静のその後の生活はまったく不明であるが、静御前の墓と称するものが、淡路島の津名町にある。その他、利根川のほとり、栗橋駅の近くに静御前の墓がある。平泉の義経の元に向かう途中、病で倒れたと云うが、確かなことは解らない。   完

平成二十五年癸巳・乙卯・甲子
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