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2013年04月

政治家・頼朝

2・先祖の威光を借りる

化粧坂をのぼりつめた左手一帯を今も源氏山というが、ここは源義家が兵を集めた場所。この山で白旗を掲げて戦勝祈願をしたというので白旗山とも呼ばれたり、武器庫があったので武庫山とも呼ばれている。  今は頼朝像を中心とした、山上の公園になっている。

義家が生まれるにあたって、父・頼義は、長谷の甘縄神明社に誕生を祈願した。生まれた家も神明社の下だと伝わる。
甘縄神明社・安達盛長邸旧蹟(鎌倉・長谷)
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甘縄神明社は、由比ヶ浜大通りから山側に入った所の長い石段の上に社がある。後ろの山は御輿ヶ嶽(mikosigatake)。万葉集にうたわれた「みこしがさき」とは此処の事だそうです。  小さいながら品のある社で、義家の束帯姿の木像を安置している。神明社をここに祀ったのは、社伝によれば神亀年間(724~728)というから相当に古い話だ。 祭神は天照大神。

当時由比の長者といわれた豪商(豪族)染屋太郎時忠の勧請で、山上に社を建立したほか、山麓には神輿山円徳寺(明治期に廃寺)を建てた記録が残る。義家ゆかりの古社だけに、頼朝は鎌倉入りしてから政子を連れて何度も参詣している。

*最近この神明社を訪れた際に、偶々神明社・氏子の方に御目に架かる事があり、御話を聞く機会がありました。詳しい事はまた別の機会にリポートする予定です。* ●周辺の土地を現在も所有しており、収入を得ているようです。

「暮れに及びて雪降る。 二品(頼朝)ならびに御台所(政子)甘縄神明宮に御参、御還向(帰途)の便路をもって、藤九朗盛長(安達)の家に泊る」   「吾妻鑑」文治二年(1186)正月二日条  とある。

藤九朗盛長とは、伊豆流人時代からの頼朝の従者で、神明社の門前に屋敷があったとされる。(文書記録のみ)将軍となった頼朝は、気のおけない盛長らとの語らいの時間を楽しんでいたようだ。

さらに父・義朝(yositomo)も鎌倉に館を構えていた。場所は源氏山の麓、現在の扇ヶ谷・寿福寺付近といわれる。(頼朝が当初、幕府をこの地にと考えていた場所である)

頼朝も当初は充分に先祖の威光を利用したと考えられています。

平成二十五年癸巳・丁巳・乙丑
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