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2014年02月

後北条氏・第四代当主北条氏政

*家督相続

戦国時代の相模国・後北条氏第四代当主として、伊勢宗瑞以来の後北条氏を継承、正室に武田信玄の娘・黄梅院を迎え甲相駿の三国同盟を継承。  豊臣秀吉による小田原征伐により、戦国大名・北条氏による関東支配を終結させる最後となりました。
遍界一覧亭(鎌倉瑞泉寺・裏山)天園ハイキング・コース内
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三代当主氏康の次男として生まれ、兄新九郎が夭折したために世子となり、北条新九郎氏政を名乗る。同盟関係にあった武田信玄の娘・黄梅院を正室に迎え、良好な家督相続が行われた。

家督相続後、氏政が行った仕事が北条家所領役帳の作成だ。  これは北条家特有の代替わりの検地で、民意を重視し、検地や徳政を行うための内政事情によって代替りすることが北条氏の常套であった。

永禄四年(1561)、上杉謙信が関東の諸大名を糾合した大軍で小田原城を包囲。  北条氏は窮地に陥ったが、盟友・武田信玄の支援もあり、氏政は父主導のもとで見事に籠城戦を戦い抜き、上杉軍を撃退する。  越後に撤退した謙信が川中島の戦いで武田信玄と戦って甚大な被害を受けると、信玄に呼応して北関東方面に侵攻し、一進一退の攻防戦の結果、奪われていた領土の奪還に成功する。

同時期の今川家は永禄三年の桶狭間の戦いで当主・義元が討死して以降領国の衰退が顕著で武田・今川の関係も変化していた、甲駿関係も変化して、信玄による駿河・今川領国への侵攻を始めた。  義元の嫡男であり氏政の義弟である今川氏真(氏政の妹・早川殿の夫)は没落に瀕していた。 信玄は北条氏へも今川領国の割譲を持ちかけたが、北条氏は駿相同盟を優先して今川方に加担、甲相同盟は破綻した。 (続)

平成二十六年甲午・丁卯・己巳
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