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鎌倉文化と「禅」

*渡来僧の薫陶

鎌倉という都市は。日本で禅宗が早い時期から本格的に定着した処として知られる。  日本の初期禅宗文化は中国直輸入の性格が強いが、才能ある若い僧たちは鎌倉の禅宗世界に於いて、貪欲に禅僧として育ち、やがて中国への渡航参学を志すに至った。
鎌倉五山・第三位・・・臨済宗・壽福寺山門(鎌倉・扇ヶ谷)
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*基礎学としての天台・真言・儒学・算術

禅僧たちによって残された伝記史料を検証してゆくと、いきなり禅宗に接するよりは、その前提として共通の基礎学問があったように思われます。  その核を成すものが、平安初期に成立した天台宗・真言宗です。

全国にネットワークを張り巡らせていた天台・真言系寺院は、仏教の特定宗派の修行場というよりも、この時代の基礎的な教養を身につける場という性格を持っていた。  言い換えれば地方の子弟に初等教育を施す学校として機能していたのである。

鎌倉・扇谷の壽福寺は禅宗寺院であるが、開山の栄西自身が鎌倉ではもっぱら真言僧と見られていたように、純粋な禅宗というよりも密教色が強かった。  子弟が最初壽福寺に入れられる例は、ほかにも見られ、壽福寺の僧童になったことは、純粋な禅宗に触れたというよりは、基礎的な教養としての天台・真言系の文脈で学んだのだと思われます。

*東国出身の禅僧たち・・・・・中厳円月・南浦紹明・直翁智侃・龍山徳見・別源円旨・清渓通徹等々・・・

十三世紀半ばから十四世紀にかけては、日本から中国に渡って、本場の僧侶の元で修業を積む、あるいは中国の各地を遍歴するという動きが、禅僧たちの間でブームとなった時代である。  彼らの事を海を渡った僧、「渡海僧」と呼んでいる。

他方、同じ時代に、中国から日本に渡来して禅寺に所属した僧侶たちが集中的にあらわれる。  これを、「渡来僧」と呼び、確認できるだけでも三十人ほどの名前を見出せる。  この時代の禅宗世界における日中交流は、双方向的であったことが特徴と云えるでしょう。  (続)

平成二十六年甲午・乙巳・丙寅
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