FC2ブログ

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

鎌倉文化と「禅」

*渡来僧の薫陶・・・(つづき)

鎌倉の子弟教育においては、渡来僧が有力な禅寺のトップにいるという状態が、門下生に中国への目を開かせたという点において、大変な役割を果たしました。
毎年7月15日に行われる供養・法会「梶原施餓鬼会」・・・臨済宗・建長寺
s-2013_0715_081018-DSCN0397.jpg
先に触れた南浦紹明は、建長元年(1249)、十五歳で剃髪受戒して、駿河から鎌倉に赴き、開かれたばかりの建長寺で渡来僧・蘭渓道隆(1213~78)に師事した。  そして正元年間(1259~60)に渡宋している。   さらに、約翁徳倹(1245~1320)は、鎌倉郡の生まれで、道端に捨てられたのを、「郡の著姓」に拾われ養育された。  幼くから普通の子供の遊びはせず、僧を見れば必ず敬い、仏を見れば必ず拝んだ。十三歳の時に養父に従って建長寺に参詣り、蘭渓によってその才能を認められ、童子となってその教育を受けることになった。  徳倹もやがて文永年間(1264~74)に渡海することになる。

この様に、東国出身の子弟が、鎌倉の建長寺で、蘭渓の教育によって中国への目を開かれるというコースが定着していったことが解ります。

さらに、蘭渓道隆の影響下に渡海した世代よりも1~2世代遅れる僧たちに、大きな影響を及ぼした渡来僧として、一山一寧(1247~1317)と東明慧日(1272~1340)の二人があげられます。

*一山一寧(itusan・itinei)・・・・・中国浙江省・補陀落山観音寺の住持。  皇帝の使者として来日したが、優れた文化人としての能力を認められ、鎌倉に招かれ建長寺の住持となる。  朱子学・書道・絵画も優れた、多彩な能力の持ち主で、その後の日本で禅宗文化に大きな影響力を与えた。

*東明慧日(toumiyou・eniti)・・・・・中国浙江省定海県の出身。曹洞宗宏智派の僧。 延慶二年(1309)に北条貞時の招きで来日、円覚寺の住持となる。

他に北条時宗の招きで来日し、円覚寺を開いた有名な無学祖元(mugaku・sogen)については、日本での活動期間が短かったことや日本語を習得しなかったこともあって、その影響で渡海を志した人物を見出すことができない。   (終)

平成二十六年甲午・乙巳・己巳
スポンサーサイト
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。