FC2ブログ

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

源家伝領の地

*壽福寺の創建

頼朝が大倉の地に幕府創建の大業を完成すると、やがて世を去り、その一周忌も終えた年、未亡人となった政子は亀ヶ谷の地に義朝・頼朝供養の為の大規模な伽藍を新たに建立することを思い立った。 亡夫の意思を尊重し、源家の系譜を継承しようとする政子の熱意が認められます。
壽福寺三門に通ずる参道
s-2011_0401_095802-DSC01524.jpg

「源家伝領の地」に源家の菩提寺とも称すべき名刹・壽福寺が建立されたことは、注目に値する。同寺に一世の名僧・栄西を招いて、開山としたことも重要である。新伽藍を鎌倉筆頭の名刹とする施主・政子の心意気が表明されています。

同時に亀ヶ谷の壽福寺創建の時、沼浜に残っていた義朝旧居を移築しようとしたが、そのとき存命中の頼朝が、父の貴重な遺跡を取り壊すに忍びずという意思を引き継ぎ、保存され旧居の移築は中止された。・・・・・亀ヶ谷の邸宅とは別の屋敷。

*沼浜・・・・・現在の「元八幡」付近。この旧鎮座地は滑川河口付近の海辺で当時は「沼浜」という地名に適合する河口だったと思われます。

亀ヶ谷の地はやがて頼朝にとって墳墓の地となり、壽福寺が建立され、源家の精神的拠点となった。  その地域は近くの化粧坂などとともに、鎌倉の出入口となる重要な要衝でもあり、その地域を抑える政治的・軍事的必要性は一層高まって行きました。

世の変転に伴い幕府の体制も安定すると、由比ヶ浜の「沼浜」の地は壽福寺のある亀ヶ谷からも幕府のある大倉からも遠くなってしまい、政子によって新たに創建された壽福寺に沼浜にあった義朝の旧居を移築したのは適切な処置だったと思われます。義朝の旧居をその新居に併合したという意味で評価されます。

この様な過程を経て、壽福寺は後々まで幕府と密接な関係を続けるに至ります。源家三代にわたり、菩提寺のような役目を果たしていました。 三代将軍・実朝もたびたびその僧堂を訪れ、長老(住職)栄西と懇談し、親しくその薫陶を受けたといわれる。

ある時、実朝が酒に酔い二日酔いの状態になった時「御淵酔」を治療するために、長老・栄西は茶一杯と自著一巻とを添えて将軍に献上したという。

*当時の茶は主として薬用とされ、自著一巻は「喫茶養生記」と題する書で、茶の功徳に関する事を述べた書。

この書は日本最初の茶書として後世にも重要視されています。 内容は中国宋代の百科全書から引用されたと云われる。膨大なものから必要な部分を引用するだけでも、大変困難な作業だったと思われ、栄西の豊富な学識が、献身的な奉仕によって実朝の人生の中に根強く植え付けられたと思われます。壽福寺が源家の精神の拠点だった事実を、実朝が身を以て示したともいえます。

源氏山及びその周辺をなす亀ヶ谷という地域は源家にとって墳墓の聖域であり、その繁栄が築かれた原点である。その様な意味で、壽福寺を中心とする亀ヶ谷を実質的な源家発祥の地と称することは決して不自然ではないでしょう。(終)

平成二十六年甲午・庚午・甲戌
スポンサーサイト
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。