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幕府内で起きた騒乱事件

*実朝に迫る危機

正治元年(1199)、頼朝が世を去って、幕府の大黒柱が失われると、幕政の中核を窺うものが次々と出現した。 頼朝の嫡男・頼家を擁する比企氏、次男・実朝を擁する北条氏・伊賀氏等である。これらが幕府内で暗躍し始めた。
鎌倉幕府の記録・「吾妻鑑」読み下し教材
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源頼家が父頼朝の弟阿野全成を、謀反の疑いにより捕えるという事件が起きた。 結局、常陸国に流され、後に下野国にて殺害されています。全成の妻阿波の局は頼家の弟千幡(実朝)の乳母で、北条時政の娘(政子の妹)という立場。 時政が千幡(実朝)を擁立して頼家と対立していたためと思われる。

*阿野全成・・・・・源義朝の子。母は常盤御前で義経の同母兄。異母兄、頼朝の挙兵に参戦、駿河国阿野荘を領した。

源頼家が日本国総守護職と関東二十八か国の地頭職を長子・一幡(itiman)(六歳)に、西国三十八か国の地頭職を頼家の弟・千幡(十二歳・実朝)に譲るという決定をした。すでに、病床にあった頼家の容態が悪化する中で取られた措置である。一方で頼家の意向は一幡にすべてを相続させるというものであったが、それによる一幡の外祖父で有力御家人の比企能員の勢力増大を恐れた北条時政らが、この措置を進めたといわれます。

頼朝の嫡子・頼家が病弱で政界から自然に脱落しかかると、実朝がその様な不穏な空気に正面からさらされるようになり、若輩ながら多くの長老たちの策謀に翻弄されて、音曲・歌道に逃げ込むのが精いっぱいになっていたようだ。また要人たちの背後には右往左往する女性たちの姿も見え隠れし、次第に危機をはらむ状況に変わってきた。

ここに云う騒乱事件とは源実朝暗殺未遂事件をさす。  北条時政邸をめぐって、その様な恐るべき動きがあった。  一時は時政邸の周辺に多くの武士が招集されて、まさに開戦前夜の様相であった。 時政本邸の所在地は現在確認されていないが、幕府周辺の重要な地区にあったと考えられる。

結局、頼家は病気の為出家を余儀なくされて、実朝を将軍に推挙する事に定まったので、実朝は実家の政子邸から執権職の時政邸に移したのであるが、その時阿波の局(乳母)が付き添った。争乱はそのころから動き出したようだ。

*阿波局(awano・tubone)・・・・・北条時政の娘、阿野全成の妻であるが、実朝の乳母となり、その側にいて親しく成長を見守っていた。

将軍実朝をめぐる女性の中で、阿波局の立場が非常に強かったことが解ります。(時政邸への付き添い)  その阿波局は政子邸に赴き誠に恐ろしいことを告げた。 時政邸にいる牧の方の様子を見ていると、実朝に危害を加える恐れがあるという、不吉な事件を予感しています。 それに対し、政子は以前から承知している様なことを返答しています。

この進言に対して、このことは前々から考えていたことで、近々若君をお迎えするする旨、政子から返答があった。同時に北条義時(弟)・三浦義村・結城朝光等を執権邸に遣わして実朝を政子邸に連れ戻しています。 牧の方は時政の後妻であり、政子は先妻の娘である。その間がうまくゆかないのは、世間ではありふれたケースであるようです。

政子と安房局とは同母姉妹であり、互いに気脈は通じていたはずである。  牧の方に関する緊急情報を姉妹はともに分かち合う間柄だった。 その前に安房局の夫阿野全成は謀反の嫌疑をかけられ逮捕されたが、政子はその時阿波局を守り、幕府の要請にもかかわらず、身柄を引き渡さなかったという。

実朝の件、結果は、実朝が成人するまで、政子邸で預かるということで決着した。この一件で北条時政に大きな黒星がついたことになる。
  (続)

平成二十六年甲午・庚午・甲申
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