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頼朝以後の小田原

*小田原の北条早雲(伊勢新九郎長氏)

明応四年(1495)、伊勢新九郎長氏(isesinkurou・nagauji)(北条早雲)が伊豆国韮山より勃興する、大森氏を攻めて小田原城を乗っ取り、伊豆国と相模国の平治に及んだ。
古都鎌倉を代表する「やぐら」・・・鎌倉北条氏常盤邸のタチンダイ付近
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当時小田原は大森氏(氏頼)が納めていた。  早雲は、小田原に攻め入るに当たって、城主であった氏頼に和睦を申し入れて付き合いを深めようとしたが、氏頼は受け付けなかった。  氏頼は、早雲に野心の有る事を見抜いており、子の実頼(saneyori)らに早雲の行動に警戒するよう通達していた。

*小田原城主・大森氏頼・・・・・室町から戦国期にかけての戦国武将。 扇ヶ谷上杉氏家臣。  出自は駿河大森氏。

明応三年(1494)、その氏頼が死去した。   間もなく小田原城主となった大森実頼に、折に触れて親愛の情を示し続けていた早雲の行動が度重なるに従って、実頼とその息子・信濃守藤頼(fujiyori)たちは、次第に早雲の情にほだされていった。  その様な状況の中で早雲から大森氏に使者が来て、鷹狩りをしていて、追っていた鹿が箱根山中に逃げ込んだようなので、勢子を入れることを許可してほしいと、申し入れがあった。大森氏は、それまでの早雲の行動からも、策略があっての事とは思いもよらず申し入れを許してしまった。

慎重に侵略の時期を待っていた早雲は、時機到来とばかり武勇に富んだ若者を数百人集め勢子に仕立てた。さらに犬引きに仕立てた戦に熟達した数百の武者に武器を持たせ夜襲の準備を整えた。  熱海の山々を超えて相模国に入り徐々に石橋や湯本辺りに兵を潜ませて待機させ、数百の牛の角に松明を結わえ付け夜を待った。

夜に入って小田原城西南方角に当たる笠懸山(kasakakeyama)(石垣山)、箱根山へと追い立てて駆け上がらせ、ほら貝を吹いて、あたかも鹿を追い立てる勢子のごとくに見せかけ、板橋の町屋に火をかけて焼き払った。  その時の小田原城内の大森氏は、上杉合戦の加勢の多くの軍勢が派遣されていて、城には少人数の兵士しか残っていませんでした。

鬨の声やほら貝の音に気づいた大森氏は、西の方角の山々に点在する松明に、数千騎での多勢の兵力が押し寄せると思い城内は慌てふためいたと云う。  突然の北条勢の攻撃になすすべもなく、城主親子を城外に落とす事が精いっぱいで、防戦したが、力尽き小田原城は落城した。

伊勢新九郎(北条早雲)は勝鬨をあげて小田原城に入城した。   早雲この時六十四歳の事です。    (続)

平成二十六年甲午・癸酉・庚申
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