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鎌倉北条氏の時代

**将軍にならなかった北条氏 Ⅸ 得宗(tokusou)とは?

*義時と「得宗」の謎

北条時政・義時・泰時・時氏・経時・時頼・時宗・貞時・高時の鎌倉北条氏家督(惣領・家長)八世代九人、いわゆる北条九代は、現在「得宗」と呼ばれている。
北条家5代得宗・北条時頼建立・鎌倉五山第一位  建長寺遠景   (建長寺・半僧坊より)
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「得宗」は鎌倉時代史研究では、基本的用語で、北条氏嫡流の家系は「得宗家」、北条氏家督に権力の集中した鎌倉幕府政治の第三段階が「得宗専制政治」、北条氏家督の家政機関は「得宗家公文所」、北条氏家督の所領は「得宗領」、鎌倉時代当時には「御内人」(miutibito)と呼ばれていた北条氏家督の家臣は「得宗被官」である。  後期の鎌倉幕府を「得宗政権」と呼ぶこともある。

その「得宗」が北条義時とどの様に関連しているのか。・・・・・  研究者の間では「別称」・「法名」・「追号」などと異なった解釈をしている。  「得宗」が義時と結びつく語であることを示す史料は、ほとんど無いようです。  僅かに、義時没後百三十年も経った南北朝時代の古文書「石清水社務嚢清注進状」に「義時号・得宗」とあるのが、世に知られたほとんど唯一の事例である。  因みに義時の法名は「観海」であり「得宗」が法名であったとする説は否定できるでしょう。   (続)

平成二十六年甲午・丙子・壬午
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